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■写真のもので直径30センチぐらい。オニヒトデは生後3年ぐらいで生殖可能となる。産卵期は本島の場合7月、先島で6月である。体表の刺は有毒だが、自らは刺しにこない。手を切断しても再生するが、体細胞が分裂してクローンを産み続ける訳ではない。ただし正しく2分割すると、再生して2個体になることはある、というのが最近のデータで分かった。
2003年5月31日
[慶伊瀬/沖縄]

■オニヒトデと沖縄の自然

 沖縄ではオニヒトデ被害からサンゴを守ろうという募金運動が盛んに行われていいます。サンゴ礁は魚にも、そして人間にも重要な生態系環境だからです。そのサンゴをバリバリ食べてしまうオニヒトデが「とんでもない奴」だから、片っ端から駆除してやろうというわけです。
 沖縄ではサンゴは観光資源であると捉えていて、その食害の実害は漁民のみならず観光業者やダイビング業者などへ経済的な打撃を与えるとして、補助や助成支援などが行われてきました。例えば、オニヒトデ駆除の補助金という名目で、国や県から関連団体へ駆除活動を丸投げするというのもその一つです。1970年から80年にかけての10年間で累計6億円もの予算が投入され、この間の駆除数も1千万個体を数えました。しかし92年の環境庁(当時)の調査報告によれば沖縄本島のサンゴ被覆率(健全な育成状態)は50%以下であり、つまり駆除によってサンゴが保全されたとはいえないという結論に達しました。むろんサンゴに影響を及ぼすのは何もオニヒトデだけではなく、公共事業天国沖縄における埋め立てなどの海浜事業が要因になっていることは想像に難くはありません。

 自然界には不要なものは存在しない。その論に沿ってオニヒトデの生態研究を進めると、彼らが好んで食するのは造礁サンゴ全般ではなく、生育速度が速いものに限られるということが分かってきました。とすれば、オニヒトデによって、今までサンゴ種間の生存競争で生育が遅いためにテリトリーを広げることができなかった種にも発展の機会が与えられることになります。これがオニヒトデの存在の意味ということかもしれません。
 
 とはいえ海に潜ってオニヒトデと遭遇して、サンゴを食しているその様子を見るにつけ、不愉快な気持ちになるのは正直なところです。口から胃袋を出して(!)、それをサンゴの上にベロリンと広げ、捕食消化していく様子。あるいは腕の中にまでぎっしりと詰まった生殖層があり、メスは1個体に1千万個の卵を持つという程の種の繁栄能力を持つ。天敵は一般にはホラガイといわれていますが、ホラガイはオニヒトデのみを狙って捕食するわけではなくヒトデ全般を食べるので、その意味からすれば天敵さえ存在しないことになります。これらのことから「生態系の中に組み入れられることを拒絶し、己が種の繁栄のみのために存在する(あれ?どこかの国みたい)生き物である」と定義した生物学者もいるほどです。
 さて、沖縄のオニヒトデ駆除なるものが今まで行われてきて、それでも毎年のように発生するのは間引き効果ではないかと考えられます。つまり、行き当たりばったりの駆除が結果として「間引き」効果を与えてしまうのではないだろうかということ。適当な間引きによって、種の生命力が増すことになり、結果として総個体数の増加につながることは生物学ではもはや常識とされている。だからうがった見方をするなら、このあたりの生態メカニズムというものを業者たちは分かっていて、それを承知の上で、間引き駆除をしているのではないか、ということ。そうすれば永遠に個体数が減ることは無く、従って補助も貰いつづけることができるからです。少々、皮肉っぽい見方ですね。

 ともあれ、駆除にあたっては大前提で本当に必要なことか、という議論が大切です。駆除行為そのものが生態系の破壊ではないのかという検証を行うことが必要なのです。そして異常発生と通常状態の線引きを、科学的なデータを元に、海域ごとにガイドラインを策定すること。現在では100平方メートルあたりに40匹以上の個体数がいれば「大繁殖」状態である、としていますが、それも地域ごとに調査をして適正個体数を割り出す必要があります。
 いずれにしても、大繁殖でなければ、生存そのものは生態系の中での役割を果たすメンバーなのですから、まるで魔女狩りのようにして駆除する必然性などないのです。

 また、人為的に何も施さず放置していてもクラッシュ(環境容量を越える個体数に達すれば自然消滅する)するのです。ただしその場合、被害を受けたサンゴが自然回復できる健康な環境条件が前提です。ところが今の沖縄の海にその能力があるのでしょうか。
 実はそのことが最も重要な問題なのです。
 オニヒトデ問題を表層で受け止めることなく、これを切り口として一般認識がもっと深まることを期待しています。食害でたとえ丸坊主にされようともサンゴが自力復活できるような健全な自然環境を求めて、官民一体となった土建優先の社会構造の見直しと、現状の問題認識の共有がまずもって大切なことではないでしょうか。

 オニヒトデ問題をみるにつけ、本質が糊塗されている気がしてなりません。サンゴを本気で守りたいなら、ことの本質はオニヒトデなどではないということ。オニヒトデは海の生態系にとっては必要なメンバーであり、仮に問題をその数(発生量)とするならば、その発生のメカニズムを探求するべきです。ただし海洋自然においては「特定種の大繁殖」などという現象はとりたてて異常なことではなく、その現象をも含めて目的を持った整合性があることなのかも知れないのです。
 前述したオニヒトデの生態におけるエイリアン的凄まじさに生理的に嫌悪感を感じるのは、自分がそうでしたから分からないことではないのですが、そのこととて「異形」のものをオミットしてしまおうとする僕達の中にある利己的な感情に他なりません。

 沖縄の人たちはテレビで呼びかけるオニヒトデ退治の募金に何の疑問もなく反応しています。その気持ちは、海を守ろう、自然を大切に、という気持ちの発露で全く持って素晴らしいものですが、何か本質から逸脱してしまっている気がします。海を守るのであれば、それぞれの日々の生活の中で個々にできることがもっと沢山あるからです。合成洗剤の使用にしても、家庭ゴミの出し方にしても、あるいは電気をつけっぱなしにしないなど、それら一つ一つは本当に取るに足らない、けれど一人一人が行うことで環境にボディブロウのように効いてくるものなのです。
 
 オニヒトデの問題は、環境とサンゴ、環境と人間という、そんな本質を見極める力、つまり洞察力を養うことを僕達に突きつけているのかも知れません。

2003年5月31日


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